第6回
44番札所〜49番札所・52番札所
四十四番札所 広台寺(下田市蓮台寺)

うば王の 暗き心を そのままに 祈れば登る 廣き台に
山号 湯谷山
曹洞宗
草創・不 明
創立年代は分からないが、創建当時は桂昌庵という小庵で蓮台寺温泉の郊外の高台にあったと言われる。


四十五番札所 向陽院(下田市河内)

煩悩の 霜も氷も みなとけて むかう朝日の 心さやけき
山号 三壺山
臨済宗・(建長寺・末)
本尊・虚空蔵菩薩像は弘法大師作
阿闍梨が諸国行脚でこの河内の里に来て現在、寺のあるあたりを眺めているといかにも諸仏が教え導く霊地勝境であると感じ、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩の二菩薩を本尊に、地蔵密院と号して創建。その後 1492(明応元年)鎌倉・建長寺より、宣梅和尚が来て再興。三壷山・向陽院名づけ臨済宗に属した。

本堂までの参道は草花の手入れ行き風情がある。金比羅宮と天満宮が祀られ伊豆の金比羅さんと親しまれている。
四十六番札所 米山寺(下田市箕作)

みな人のいのちも拝むよねやまの善提のかてをみつくりの里
山号 砥石山
無属(宗派に属さない)
草創 天平五年 (733)
本尊 薬師如来
本尊の薬師如来は行基の作で、越後、伊予、伊豆の三ヶ所に有り、三大薬師といわれる。正しくは「よねやまじ」と読むが、通称「べーさんじ」と呼ばれている。宗派に属した寺ではなく、無住。


四十七番札所 龍門院(下田市相玉)

たぐいなく かかるみ法の 相玉に 菩薩たつかど 拝むうれしさ
山号 保月山
曹洞宗
草創・1099(康和元年)
通称、相玉の庚申さん
康和元年(1099)甲子6月24日、保月嶽の頂上にある老松に光を放つものがあった。行ってみると仏像である。そこで龍門ヶ嶽に小庵をたてて安置した。そのころ近隣のあちこちに川淵があり龍蛇が住んでおり降臨したので相玉の龍門寺と名付けた。

青面金剛は庚申の本地、帝釈天の使いともいわれ、青い顔をした金剛童子で形相は六臂、弓矢、宝剣を手にし、両足に一鬼を踏まえている。病魔、病鬼を制伏、もろもろの悪霊邪気を除くために祈願する。「相玉の庚申さん」と親しみを込めて呼ばれる。
四十八番札所 報本寺(下田市加増野)

めぐり来て 本に報いる 寺なれば まいる御縁の めぐみなりけり
山号 婆娑羅山
臨在宗・(建長寺・末)
草創・1326(嘉暦元年)
通称、婆娑羅の山隋院さん
元享三年(後醍醐天皇1323)今の下田市堀内の真言宗・成就院の円願阿闍梨が、宝蔵院(八十一番札所)へ就く途中、霊地である事を感じ、嘉暦元年(1326)開創した。


四十九番札所 太梅寺(下田市横川)

谷深き かすみの中に 太梅寺 群れくる鳥も 法のこゑごゑ
山号 神護山
曹洞宗
草創・1046(寛徳三年)
寺伝によれば、後冷泉天皇の寛徳三年(1046)真言宗の僧、桓舜僧都が名山霊地を探し行脚しこの地に至り、地勢を見て求めていた霊地であると知り、樹の下で座禅を組んで一夜を過ごしたところ夜半に一人の童子が現れ「永い間、明るい光を持って世間を照らすということは大きなご利益になるのではないでしょうか」と言う。そして草庵を造ったのが始まり。


五十二番札所 曹洞院 (下田市大賀茂)

そうとうの仏につかえ心よく少林山へ参るうれしさ
山号 少林山
曹洞宗
草創・不明(弘法大師修行の霊跡)
再度の火災で古記録等一切焼失し、創立年代等は不明。弘法大師修行の霊跡で、真言宗の大刹であった。大永五年 (1525)曹洞宗に改宗され現在に至る。本堂内には古い仏像多数。

