三十四番札所 干午山 三養院(河津町)
水戸黄門の師、東杲心越禅師の扁額が残る歴史ある寺院
山号 千手山
曹洞宗(昌渓院・末)
草創・1501-21(文亀・永正年間)
韮山の昌渓院を開山した、竺仙宗僧が創立した。文亀年間(1501-04)か永正年間(1504-21)の間と推測される。もともと千手庵と言った。創立当時は別の場所であったが、後年現在地に移された。 天正十八年(1590)下田城が豊臣秀吉の、1万4千余の水軍に攻撃された、城主の清水上野介康英は妻と子の三人で逃れ、この千手庵に身を隠した、三人を養った故に、三養院と寺号を改めたと云われる。寺宝である寺籠や、清水家の墓、水戸黄門(徳川光圀)の師であった東杲心越禅師が書いたという扁額など、見どころが多い。
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